昭和41年12月12日 夜の御理解
金光大神のお取次のまにまに、特別に私共の信者氏子の上に、それこそ降るようにおかげが有っておっても、こちらが信心にならず、実意丁寧にならなかったら、私はおかげは受けられないと思うですね。例えばそのそのしるしは、椛目には色々有る訳なんです。成程あの天地の親神様の無限のおかげというものが、金光大神の御取次に依ってから、こうして椛目に現れて居ると言う事。
それをまぁ私共つう一杯の信心で、それを受け止めさせて頂いて、現在今日のおかげを頂いて居る訳ですから、それがそのまま見本なんです、手本なんです。今度御本部参拝を致しまして、それからあちらへ京都の方へ御神具とか何かの、実際向こうへ行ってからの注文でなからなければなりませんから、御装束とか何かそんな物の調達に、秋永先生とそれから高橋さんと文男先生と三人で行って呉れました。
昨夜飛行機で帰った参りましたらしゅうございますから、今日夕方からそのお届けの報告に出て参りました。丁度帰ったんですけれども、話を聞いて居って、成程神様の御神意御神慮の中にあるなぁと、言うことを感じたんですけれども。第一あの本部から急行に乗せて頂いた。汽車の中でもとは、東京にシンセイ会というておった。椛目のある意味椛目のこっちゃない、椛目の何千のやはり信者を擁しとります、シンセイ会てそれが今度もう別派独立してですね。
もう天光教と言う、その教団を組織しておるらしいんですよね。もう教祖の神様よりも金光様よりも先生が一番偉い。生神金光おおみ神様というふうな御神号、私を拝めば助かると言った様な御ひれいを頂いておるらしいですね。ま、私これを読ませて頂いてからなんかいつも何か邪気を催す、というかですね、と言う様な感じがしたんです。私これを読ませて頂いて、尊い本らしいですけれどね。しかもそこで修行したという若い女の先生と一緒になりましてですね。
色々その金光教というよりも、椛目の者じゃなからなければ分からない、又向こうの人にも分かるまいと、言った様な話をあちらに着くまで、大阪の方にこんだ本部を変わるんですよね。大阪まで行ってその人と一緒三人、掛けておるところにその人が、尾道から乗ってきておったかんじですね。教祖の御教えを元にしておるけれども、その教祖の神様よりも天光おおみ神様と、生き神金光大神、神よりも上になると思うなという、御教え頂いておるけれども、私は間違うてこういうことになっていくと思うですね。
けどもなんか知らんけれども、いやでなんかたまらんかった。椛目の場合どんなに御ひれいを、例えばどうして頂いて行きましょうが、どうでありましょうがですね、もう私がいつも申しますように、これはによって変わるんだということですよ。どういう又金光教の信心から一歩もでらず、もうただ私は今の教団の中にね、あの信心がなからなければいけないのだ、もうとうになからなければならんのだ。けれどもあれに椛目の信心が入らなければ、本当じゃないということを、主張しておるだけであってですね。
まぁこう言う様なとんでもないものが段々、四国のあの真の教団とか、天光教教団とか言った様な。しかしこれなんかは、大きくその大神様のご守護の中になんか、こげなもの見てから、私達がどげな風に心が動くだろうか、それを試しにしておると、言う様な気がするんですよね。それからいわゆる頂いたそうですからあちらで、日曜になるもんですから電話で連絡して、また先ずあのこのいとまえの金具に事で参りまして、そこはあの丁度お留守じゃった。朝参りをしておられます。
京都の何とかという、総代をしておられる。もう実にその実意丁寧な、いわゆるこの彫金師ですから 金を彫刻する方、その大きなお店ではないけれどもなったときの、いとまえを造られた職人さん達ですね、その型が合うそうですね。その型と同じものに椛目もなさってはどうですかというので、もうその型合わせて型通り作れば。だからこちらから言うておったのと一寸程広くなるそうです、それの方が。ところが実をいうと広い方のがいいのですよ大工さんがさっち。
私の感覚でしたらやはりちょっと広めがいいと思うんです。ま、そういう風なおかげを頂いた。沢山なその勿論高芝さん、高橋装束店の方にも参りましたんですけれども、その丁度行きよったお父さんというのが、病気でもう長く寝ておられるのですね。だから新たに又息子さんのお店に行ったんです。それでそん、まぁこっちも大変実意丁寧な金光教の本部の青年会の何か、理事か何かしておられる方で、もうほんとにもう安心して頼まれるちゅう感じお店であったと言う様にですね。
ですからね、いつも神様の御守護の中にあるんだなということをですね、何処行ってもどうでも感じる。けれども、感じるだけでは駄目だということですね。こちらがほんとにそれを実意丁寧に、こちらがいかなければそういう風な、又おかげは受けられないと私は思うんですよね。どうも椛目の者はに欠けておる様な感じが致しますですね。ほんとにもうどういう素晴らしいお働きの中にあってもね、銘々がやはり姿形が違うようにも違うから、おかげもやっぱり違うのでございますから。
自分のおかげの受け物が、どんなに小さいものか、又どんなにそれを、いわば疎かなものか。どんなに粗末なものかということを、分からせて頂いてですね、そういう働きそういうおかげを受けておることだけは、事実なのですから、ね。ですからそういう働きを頂いておるということだけで、有難がって居るだけではつまらん、ね。ですからそういう働き頂いておるのですから、私共が本当に実意丁寧にならして貰い、ほんとに信心辛抱し抜かせて頂く、修行でもさせて頂いてです。
そのおかげを受け止めさせて頂いて初めておかげになるのですよね。まぁこれは余談ですけれども、高橋さんと三人の話聞かせて頂きよってから、まぁほんとにもういやぁになったことがあるんですね。色々な事の中にもうどうして椛目はこんなに実意のない事をいうたりしたりするじゃろうかと。今度あの若先生の装束が出来るんですよ。それを今の四代金光様と同じ物を作って来たちゅう訳なんですよね。私はちゃんと言うてある。こういうのだこういうのだと言ってから、どんなに考えたっちゃ勿体ない。
勿体ない、私しゃもう金光様そして同じ物をですよね、それを頼んで来る神経が。私はもうほんとたまらんです。例えばそのいろんな見本やらこれは、お返しすると言うて持って来ておる写真やら、もう送らんでよかよかちこげん言うとです。もう私はもいほんとにそれを聞いとってですね、これは少しもうほんとに自分の心の中に、そんなもんが有るからだとこう思うんですよ、ね。
例えば私星野の教会の御大祭ですからお神酒のお供えをしたいと思うて 二本出せというて若先生に申しました。所が探しても無い訳です。さっちでなからにゃいかんですかち。探すのが大事じゃから、もうそういう事を言う。心の中にそういういわば無精の心が有るからです。月次祭たんびんにんなら頂いとるとじゃけん。沢山有るからどれが合わんじゃろうと言うてもです、私が言よるとじゃから私が言う位ですから、ね。
それ探しったちゃどこんどうあるですかそれをもうよかよか、なんでんよかと私がいうならば。もう手近な物を出そうと言う様な、ま、そういう根性はいかんです。もう椛目にはもうこれが私しゃもうフルフル好かんです、ね。例えばほんとに椛目上に、確かにどうにもこうにも出来ん様な、神様の働きがありよるとです。思いどうりのおかげで頂きよってもです、もうそりゃよかよか、しかしこれはしかしほんとに御苦労さん。
それは又別ですね。とてもそういう事ではおかげは受けられんて。椛目がほんとに本気で改まって行かなければならんことは、いわばこれだけの働きを頂いておっておかげが受けられないのは何処に有るかと。それはここにあると云うものをです、銘々がひとつ発見してそこんところを実意に取り組んでいかなければどんなにそれこそ降るようなお恵を受けておっても椛目の上に。それを受け止める事は出来ないと私は思うですね。
どうぞ。